2.3次元より愛を込めて

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【2次元】マリオの父、宮本茂氏、過去から語りかける

ソパ!
ゲーム作ってる?
 
作ってる人はそんなにいないと思いますが、
過去のフォルダを探っていたら懐かしい記事が
出てきたので紹介します。
 
マリオの父、宮本茂氏の記事です。
ゲーム制作に対する思想が伺われます。
 
長文になりますが、時間の許す方はどうぞ
ご覧になってみてください。
 

 
宮本茂氏の職分自覚
自分が何者であるか、何によって生かされているのか、
己の分際をきちんとわきまえていれば、そうそう大きな間違いは犯さないし、
安定した心持ちで仕事に取り組める。
 
「僕はもともとID(インダストリアルデザイナー)だったので、
任天堂に入るとき、クラフトをやるか工業デザインをやるか迷ったわけで。
クラフトっていうのは一人ずつの人に届けるために仕事をするっていう仕事で、
工業製品っていうのはやっぱり大量の、マスに対して製品をばらまくもの。
マスに製品をばらまくためにはスポンサーがいないとできないっていうところで、
企業に入ってIDやろういう筋道で来たんで。
だから、個人で動かせるお金っていうのと、
企業で動かせるお金っていうのは全然別っていう意識が最初からあるんですよ。
そのへんを最初からわかって仕事をしてたので、それはすごく気楽ですよね」
宮本茂氏/ソフトバンク発行gM 99年1月号より)
 
宮本茂氏のゲーム作り(1)
抽象的なこと、難しいことは一切考えていないようだ。
頭の中に浮んだ「具体的な」イメージを、プレイヤーの気持ちになって、
実装していくだけ、という感じである。
いくつかの実装の仕方のうち、どれを選んだらいいかについては、
常に現場で熱い議論が起こっているらしい。
実装の段取りは、「まずパーツから始める」。
全体の構成を決めてから作り始めるのではなく、
とにかく部分部分を作って動かしていく。
このパーツとは、例えば、ドンキーコングだったら「転がる樽、
それをジャンプするマリオ」、スーパーマリオだったら「亀を踏む」
「空中ブロックをジャンプして叩いて壊す」。
常日頃からいろいろなアイディアを実験して、ストックしておくらしい。
例えば、スーパーマリオの「空中ブロックをジャンプして叩いて壊す」というのは、
スーパーマリオの企画とは関係なく、それ以前から実験していたアイディアだったようだ。
パーツの仕上げについては、「感覚的におかしい部分は徹底的に直す」。
あるパーツが面白くなければいくら他が面白くても駄目、とのこと。
これは、宮本茂氏が業務用ゲーム制作出身であることと関係しているようだ。
業務用ゲームでは、ある部分がつまらなければお客はそこでゲームを止めてしまう。
 
宮本茂氏のゲーム作り(2)
宮本茂氏はプログラムは組まない。
よって、プログラマへアイディアを伝えることが必要となる。
その際、「フローチャート」を使うらしい。また、氏個人でアイディアを実験する際は、
「パラパラマンガ」を使うらしい。これは、「キャラクターの動き」が大事だからだろうか。
氏の場合、アイディアは、他のゲームや映画、小説などのメディアからではなく、
子供の頃の思い出や、日常での体験が元になることが多いそうだ。
氏の経験はごくありふれたものだが、普通の人とは感じ方がちょっと違っている。
また、記憶力も普通の人と同程度だが、ヘンなところをよく覚えている。
(そのヘンなところが普通の人にとっても面白い)氏のアイディアの特徴は、
アクションに対するリアクション、というインタラクションの形を自然と取っている点かもしれない。
これは氏が子供の頃から「いたずら好き」であることと関係しているのだろう。
「いたずらっ子」の発想のクセはゲームやおもちゃ作り向き、と言えるかもしれない。
いいアイディアを思い付いても、コンピュータの性能や容量、
その他技術的な制約で実現できないことは多い。
あらかじめこれらの制約はしっかりと把握しておく必要がある点を宮本茂氏は強調する。
実現できないアイディアは意味がない、とのこと。
 
宮本茂氏のゲーム作り(3)
ゲーム性を加えるのは、パーツが集まり、基本部分ができあがってかららしい。
ゲーム性で重要なのは、「いかにプレイヤーに繰り返し遊ばせるか」(再挑戦性/動機付け)。
これには、失敗した時、プレイヤーに「惜しい」「次こそは」と思わせるような演出が必要となる。
プレイヤーが「次こそは」と思うのは、「失敗した時、失敗した原因がわかり、
次に失敗しないためにどうすればいいのかわかっている」という気持ちの時らしい。
(しかし、この「再挑戦性」に宮本茂氏はかなり飽きているらしい)そして、
これは宮本茂氏の師匠的存在の横井軍平氏の、ゲーム&ウォッチ以来のノウハウであるが、
難易度調節(ゲームバランス)では、「難しい、やさしいの繰り返し」が重要らしい。
難しさがただ増えるだけではうまく行かない。緊張感(ストレス)を与え続けるだけでなく、
解放してやる必要があるそうだ。(緩急を付けたバランス調整)ゲームの演出面で大事なのは、
絵と音でプレイヤーに「何をしたらいいか」わからせることらしい。
これも、横井軍平氏の「ゲームの絵は説明書」説。
 
宮本茂氏のゲーム作り(4)
とにかく、至極当たり前で、「普通の人が遊んで面白いかどうか」が重要、ということのようだ。
このため、一般の人に制作中のゲームのテストプレイをしてもらって意見を聞く、
モニターのシステムを整えており、モニターの意見にはしっかり耳を傾けるらしい。
それから、面白くなければ、いくら仕様書やプログラム技術やアートワークが良くても駄目だが、
面白くするためにはどんな技術でも取り入れていく姿勢があるようだ。
とは言うものの、任天堂には、横井軍平氏の「枯れた技術の水平指向」=「枯れた技術(安い技術)を、
別の目的に使うことで、安く量産できて他にない商品を作る」という思想がある。
意外に貧乏性なところがあって、例えば、「時のオカリナ」ではモーションキャプチャ時の
小道具である宝箱を予算をかけてしっかり作ってしまったことに後悔し、「テンエイティ」では
ゲーム中にスタッフや任天堂社員の声を使っている。
かけるところにはお金をかけるが、意外なところにお金をかけていないらしい。
ただし、時間はたっぷりかけているようだ。制作期間が長くなってくると、制作スタッフの問題として、
ゲームを商品としてきちんと完成させるためのモチベーションの維持が難しくなるが、
これは、「自分がそのゲームで遊びたいと強く思い、そのことを周りに言う」ことで克服するらしい。
 
※ 商品を完成させるためのモチベーションの維持
「ゲームづくりってけっこうしんどいんですよ。
デザイナーとプログラマとで意見が衝突して、
途中で空回りして進まなくなることがよくある。
そういう状況で、完成まで持っていくにはどうしたらいいのか。
こういう質問に対して「スーパーマリオ」を作った宮本茂さんは、
「ゲームをデザインする人がとにかく自分のゲームで早く遊びたい
と思うこと」とおっしゃったんですよ。
とにかく、今、頭の中にしかないゲームで早く自分が遊んでみたい
と毎日思い続け、それを周りにも言うこと。
それがないとゲームは完成しないし、完成しても売れない、というんです。
単純ですが、自分たちが楽しめるようなものじゃないとダメだということですね」
(江渡浩一郎氏/INTER ITのインタビュー記事より)
 
※ テストプレイを重視する任天堂の現場
「(任天堂の現場で学んだプログラミング手法について)
バグのないをコードを書くにはどうすればいいかについても
秘訣があるわけですよ。普通だとオブジェクト指向を使うと
いいとかなんとか本にいろいろ書いてありますけれども、
もっと基本的なことは、要するに長時間そのゲームで遊んでみて
バグがでなければそれでいいんや、ということなんです。
どんなに汚いコードだろうと、1000時間とか1万時間とか
連続で遊んでみて、バグが発見されなければそれはバグがないもの
としていい。これは正確にはコードの書き方ではないけど、
結果的にそのコードにバグがないことをもっとも確実な方法で
証明しているわけです。ある程度大きなプロジェクトで更新する必要が
あるなら、きれいなコードは重要だけども、コードがきれいだからといって
バグがないわけではない。バグをなくすには、実際に自分が
遊んでみるとか、長時間のテストプレイが絶対的に必要だという
当たり前のことをここ(任天堂)で学んだんですね」
(江渡浩一郎氏/INTER ITのインタビュー記事より)
 
宮本茂氏(みやもと しげる)
1952年11月16日、京都府船井郡園部町生まれ。
ゲーム制作者。(プロデューサー/企画/キャラクターデザイナー/グラフィックスデザイナー) 
任天堂株式会社 情報開発本部 情報開発部 部長。
時のオカリナ」では、プロデューサーとスーパーバイザーを務める。
手がけた主なゲームに「ドンキーコング」(1981年/業務用)、
スーパーマリオブラザース」(1985年9月13日/ファミコン)、
新・鬼ヶ島 前・後編」(1987年9月4日・30日/ファミコンディスクシステム
スーパーマリオ64」(1996年6月23日/ニンテンドウ64)など。
その他、任天堂のゲームの多くについて面倒をみてきた。大学時代から、
「知育玩具」とでもいうような物を作る、インダストリアルデザイナーを志す。
「物作り」の師匠は、元・任天堂の故・横井軍平氏とのこと。
しかし、横井軍平氏が直接の上司になったことは一度もないらしい。
 
横井軍平氏(よこい ぐんぺい)
1941年、京都府生まれ。
1997年10月4日、交通事故により逝去。(享年57歳)
元・任天堂株式会社 製造本部 開発第一部 部長。
1996年、任天堂を退社し、同年9月11日、株式会社コトを設立、
代表取締役に就任。おもちゃ制作者。
(プロデューサー/企画/設計) ゲーム制作者。
(プロデューサー/企画) 「テンビリオン」「ゲーム&ウォッチ」「十字キー
ゲームボーイ」の生みの親として知られる。
その他、任天堂のおもちゃ、ゲーム作りの多くに関わってきた「ミスター・ニンテンドー」。
手がけたおもちゃに、「ウルトラハンド 」(1966年)、「ウルトラマシン」(1968年)、
ラブテスター」(1969年)、「光線銃SP」(1970年)、「ウルトラスコープ」(1971年)、
テンビリオン」(1980年)など。手がけたゲーム関連ハード及びソフトに、
ゲーム&ウォッチ」(1980年/「マンホール」,「オクトパス」など)、
ファミコン 光線銃シリーズ」(1984年)、「ファミコン ロボットシリーズ」(1985年)、
ゲームボーイ」(1989年/「テトリス」,「ヨッシーのたまご」など)、「
バーチャルボーイ」(1995年)、「ゲームボーイポケット」(1996年)など。
手がけたゲームに、「ドンキーコング」(1981年/業務用)、
「マリオブラザース」(1984年/業務用)、「バルーンファイト」(1984年/業務用)、
レッキングクルー」(1984年/業務用)、
「くねくねっちょ」(1997年/コト/携帯用ゲーム)など。
氏の経歴と独自の哲学を牧野武文氏がまとめた本「横井軍平ゲーム館」
アスペクト発行/ISBN=4-89366-696-7)の出版(1997年)は衝撃だった。
しかし、同年10月4日、あまりに突然の死…。
 

 
以上、いかがだったでしょうか。
宮本茂氏の情熱が、今後も任天堂を良い方向へ
導いてくれますように!
 

 

横井軍平ゲーム館 RETURNS ─ゲームボーイを生んだ発想力

横井軍平ゲーム館 RETURNS ─ゲームボーイを生んだ発想力